次に僕がタイムスリップしてきた場所は、六甲台図書館のラーニングコモンズだった。
携帯によると、今日は2015年の12月8日だ。
LINEを確認すると、「家でくつろいでいます。タイムスリップ、わりと疲れるんで。by孔明」とメッセージが入っていた。
今回は別行動パターンのようだ。
さて、まずは状況を把握しなくてはならない。
周囲を見渡すと、机が並び替えられ、いくつかの「島」が出来ている。小学生の給食タイムのような感じだ。
それぞれの島には私服の学生が5人程度と、スーツ姿の学生が1人いる。そして、僕の机の上には「振り返りシート」と書かれた紙が1枚置かれてある。
ははーん……。僕は思い出した。
これは、学生主催の「自己分析セミナー」だ。スーツ姿の学生はそのスタッフだ。
「就活が本格化する前に、自己分析で『自分の軸』を見つけませんか?」
そう書かれたポスターに釣られて参加したのだ。
この頃の僕は、自分の軸が見つからず、ひたすら自己分析を繰り返していた。
今日この場所にタイムスリップしてきたということは、しっかり自己分析をしろということに違いない。
やる気が出てきた僕は、机の上の紙に目をやった。
なになに……
「人生で印象的な出来事を思い出し、その時感じたことを書き出しましょう」
なるほど。自分の過去から、仕事選びの「軸」を見つけるのが、このワークの狙いのようだ。
僕は真剣に自己分析のワークに取り組んだ。
このワークをしていると、自分についての理解が深まるような感じがあった。忘れていた思い出も蘇ってきて懐かしい。グループのメンバーと意見を交換し合うのも楽しかった。
時はあっという間に過ぎ、僕はアンケート用紙に「大満足」と書き、大学を後にした。
帰りの電車の中、僕は今日のセミナーのことを思い出していた。
まず、自己分析のワークはとても楽しかった。シートを埋めていると、就活が着々と進んでいるような充実感もあった。
でも、「じゃあ今日の自己分析が、仕事選びにどう役立つのか」と問われたら、正直答えられない。
セミナーに参加する前後で変わったことと言えば、小学生の時に犬に追い回されて犬が嫌いになったことを思い出したくらいだ……でも!軸を定めるためには自分を知ることが不可欠だ!それは間違いない。
明日からも自己分析を頑張ろう!そのうちきっと軸が見つかるはずだ!
僕はささやかな疑念に蓋をした。
「ああ、おかえり」
家に帰ると、孔明が部屋で本を読んでいた。
「ただいま、先生。今日は頑張って自己分析をしました」
僕は孔明に今日のことを話した。孔明はうんうんと聞いている。
「それで、自分の軸は見つかったのか」孔明が何気なく尋ねた。
「いえ……」痛いところを突かれた。
「かかか!やはりな。悪いが、自己分析をいくらやっても、軸なんて見つからんよ」
孔明は当然のように言った。
えっ。僕は驚いた。
企業を選ぶには軸が必要で、軸を見つけるためには自己分析をするのが就活のセオリーだ。
孔明はそれを否定するというのか。
「じゃあ一体、何をすれば……」
僕が代案を聞こうとすると、孔明が出し抜けに言った。
「亮、お前はどんな女がタイプだ」
何を言い出すかと思えば、女性のタイプ?就活と何の関係があるのだ。
うーん……好きなタイプ……好きなタイプ……。簡単なようで、さあ言えと言われたらなかなか分からない。
僕はとりあえず、好きな女優を何人か思い浮かべてみた。
真木よう子、沢尻エリカ、黒木メイサ……おっ、何となく傾向が見えてきたぞ。
「先生、僕は、ちょっと気の強そうな女性がタイプです」僕は少し照れながら言った。
「ふーん、あっそ」孔明が全く興味なさそうに言った。なっ、何がふーんだ!こっちは真剣に考えたのに。
そんなことはお構いなしに孔明が続けた。
「今、好きなタイプを考える時、具体的に何人か女を思い浮かべなかったか」
「……ええ、確かに。好きな女優を思い浮かべ、その人たちの共通点を考えました」
「ふふふ……。そうだろう。
人間はな、具体的な対象がないと、タイプといった抽象的なものをなかなか考えられないものなのだ」
なるほど。それはそうかもしれない。僕も最初、漠然とタイプを考えてみたが、ピンと来なかった。
「仮に、生まれてから女を一度も見たことがない男がいたとして、好きな女のタイプなど絶対に分からないだろう」
確かにそれは間違いない。僕だって宇宙人の女性のタイプなど分からない。
「企業選びも同じなのだ」孔明が本題に切り込んだ。
「就活生は、好きな企業のタイプ、すなわち企業選びの軸を見つけるために、必死で自己分析をする。
だがな、仕事のことを具体的に知らない学生が、いくら頭の中で考えたところで、軸など分かるはずがないのだよ」
「なるほど。女性を見たことがない男のようになるのですね」
「さよう。では、軸を見つけるために、真っ先にすべきことは何だと思うかな」
「それは……具体的に仕事や企業のことを知ることでしょうか」
「まさに!その通りだ」孔明は満足そうに髭を撫でた。