No.11

絵を描くのは自分の分身を作っている感じですね

島田 賢二

(凌美会2012年度部長)

Presented by Emika Hatasaki

Photo by Emika Hatasaki


2012年度凌美会部長を務め、過去には個展を開いた経験もある島田さん。「絵を見て、単純に楽しんでほしいです」と語る、彼と絵の不思議な関係性に迫る。

PROFILE

島田 賢二

日常生活や人との関わりも作品に影響します

-はじめに、凌美会について教えてください。


年に5、6回の展覧会に向けて制作活動を行っています。展覧会は屋内だけではなく、野外でもしていて2012年の七夕祭でのライブアートや深江祭・六甲祭で似顔絵の活動もしています。部員は部室兼アトリエで自由に作品を作っており、油絵・映像作品・粘土・針金を使うものなどジャンルは自由です。

-絵を描き始めたきっかけは?


物心ついたときには既に描いていました。母に聞いたところによると、幼少期の僕の絵が相当病んでいたんですよね。人の上に岩が落ちているとか恐竜に人が食べられているとか、今考えると幼い子が描く絵じゃないんですよ。でも、当時親は何書いても褒めていてくれたんで、うれしくて描き続けていたのだと思います。運動も好きで野球や弓道をしていたんですが、スポ魂についていけなくて凌美会だけが続いています。高校時代は数か月の間美術部にいただけでしたが、大学に入って自分で何か発信したかったので、新歓祭に行く時点で凌美会には入るだろうなと思っていました。

-作品を一つ作るのにどれくらい時間をかけますか? 日常生活であったことが作品に影響したことはありますか?


実際に制作するのに時間はあまりかからないです。考えている時間は長いけれど実際に描いている時間は3、4時間くらい。本当にたくさん考えすぎてその絵自体が嫌いになっちゃうこともありますね。そういう意味で、今までの作品で一番思い入れのある作品が「受胎告知」です。これは六甲祭に出展したのですが、描き方をずっと迷って考えて、この描き方がいいなと思える転機になった作品です。

-日常生活であったことが作品に影響したことはありますか?


やっぱり普段の出来事は作品にも影響してきますね。僕は機械が好きで海事科学部に入ったんですが、あの後ろに置いてある作品「よくわかる甲板機械」は船の中にある大きな機械がドシッとしていていいなあと思って描いたものです。2011年3月11日に海事科学部の船上実習で海にいた時、東北大震災にあったのも一つの転機でしたね。陸ではコンビナート火災が起きて黒煙が上がって夕焼けみたいになっているのが見えました。そのときは、「あ、もしかして死ぬのかな」と思ったりもしました。奇しくも、船上実習に行く前日に描いた絵の題名が「バイバイ」だったんです。「バイバイ」は描いている女の子の顔がなかったり鎖や月のモチーフがあったりと悲壮感のある暗い絵でした。みんなに楽しんでもらう絵を描こうとはしていたのでそんなに悲劇的なものばかりだったわけじゃないですが、このあたりから以前より明るい画法に変わって画法も固まった時期でした。


西本 光希

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バリア(障害)をバリュー(価値)とする。


津田英二

(神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授 交流ルーム(カフェアゴラ)運営委員)

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(様々な生き方を提案する人生のプランナー)

生き辛さを抱えた人達に色んな生き方の選択肢を創ってあげたい。


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