No.9

生き辛さを抱えた人達に色んな生き方の選択肢を創ってあげたい。

小林 由季

(様々な生き方を提案する人生のプランナー)

Presented by Keita Kutsuno

Photo by Keita Kutsuno


学歴や身体の事情が、生き方のチャンスを狭めてしまう現状を変えたい。その根底には、「社会からのはみ出し者」だった彼女のバックグラウンドがあった。

PROFILE

小林 由季

絶望を感じたからこそ、様々な人と出会えました

-いま、小林さんはどういった活動をされているのですか?


就職が決まってすぐ、障害者雇用のコンサルティングやマーケティングを専門に行っている内定先の会社で、生き辛さを抱えた人とか社会的弱者と呼ばれる人がよりよく生きられるような事業を作っています。新しいライフスタイルやワークスタイルの提案を個人的に行ったりもしています。 あと、マジコウOSAKA(本気で日本の未来を考える株式会社)っていう大阪の拠点企業の立ち上げにも関わっていて、今は取りまとめ役みたいなことをしています。

-なぜ、【生き方】の提案を?


バックグラウンドが関係していると思います。私、神戸大学に来るまで、ほとんど学校に行ってなくって、ふらふらした10代を送っていたんです。中1のときにある病気にかかってしまったから、中学生の頃はほとんど病院の中の学校で教育を受けました。中高一貫校だったから受験なしで高校にあがることはできたけど、出席日数が足りないのと症状の悪化から15歳の夏に休学が決まって。病院にいても回復の見込みがないからって退院したけど、家の方がごたごたしていて、帰れなくて、数か月長崎の山奥の施設で修行をしました。座禅を組んでいたんですよ、女子高生が(笑) そのとき、健康な心身と、学歴と、家庭や友人のサポートがないとこんなにも人生の選択肢や可能性が狭まってしまうことに絶望を感じていました。15歳の時が本当にどん底だったんです。でも、その修行先で助けてくれた恩師の方が荒れに荒れていた私に対して、自分の家族以上によくしてくれて、それまでは私「社会からのはみ出し者」だったんですけど、もう1回ここからやりなおそうって思えて。ここが人生のターニングポイントになりました。 そのあと、実家に帰って16歳で大検(現在の高校卒業程度認定試験)をとったから、もう高校は行く必要がなかったんですけど、お世話になった先生もいたし、もう1回復学しようと思って高校にも行って、そのあとまた入退院を繰り返したので…病院の中で受験勉強して大学に入ったんです。

-なるほど。この放浪期に小林さんのいまに繋がるヒントがあったということですか?


そうですね。病気になってから、本当にいろんな人と出会わせてもらいました。平日に病院に通っていたりしたから、同級生と会う機会が少なかったけど、その代わりに色んな人生経験をされている様々な世代の人達と出逢ったり、お話を聞かせてもらったりしました。可能性や機会のチャンスを得るという意味では、やっぱり学歴や身体の事情がハードルになる場合が多いのが事実だと思うんです。日本はまだ、失敗を許容する文化が薄い気がして、再チャレンジしようとしたときに十分なサポート体勢が整っていない現状があると思うんですね。それを変えたいなあと思って。


お八つとお茶いろは 店主

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お店という変わらない自分の場所がある


坂井 啓悦

(KBCC代表)

”この案を採用します”と言わせたい。


工藤柊

(NPO日本ヴィーガンコミュニティ 代表理事 )

優しい人が幸せになる、そんな世界を目指して


中村 匡秀

(工学部准教授)

いっぱい失敗して経験値を貯めてほしい。


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