国文廃止など身近な話題を切り口に、自分たちの想いの発信を通じて外部とつながりを図る夜航。もっと周囲の神大生と考えを共有できないのか、どうしてみんな身近な出来事に問題意識を持たないのか、というような"不機嫌"な感情が原動力だとか。メンバーの1人である山村さんに、活動に対する情熱を語ってもらった。
PROFILE
山村玲央
ローカルなトピックから普遍的な問題へ
-活動内容について教えてください。
半年に1回批評誌を作ることと、学内外で読書会を開催することが主な活動です。批評誌は現在2号まで刊行していて、神大や神戸にまつわるものからメンバーが個人的に興味があるものまで、幅広いテーマで論じてきました。読書会では、夜航に所属するメンバー以外にも高校生や院生など多くの人が集まってくれています。他にも、広報活動の一環でラジオを録ったり、Twitterで読んだ本の紹介をしたりしています。最近は知名度が上がってきて、活動の幅を学外にも広げています。去年の9月には授業で関わった先生がきっかけで、ロバート・フランクという写真家の個展のホームページに寄稿させていただきました。それ以外では、去年の11月には学内の「同人誌メディアの批評的可能性」というシンポジウムに学生代表としてメンバーが登壇しました。
-幅広く活動なされてるんですね。設立のきっかけは何ですか?
3年ほど前に、同じ国際文化学部(以下、国文)の友人の間で、特に力を入れて書いた授業のレポートを集めて冊子を作ったのがきっかけです。国文は多様な学問分野を扱う学部ですが、その一方で周りの人たちが何を勉強しているかが見えにくいんです。それに加えて、僕自身も周りの人たちが学んだことに興味がありましたし、自分の学んだことを周りに伝えたいと思っていました。そこで、たった4人でしたが、普段どのような勉強しているのかが分かるようにレポート集を作ろうということになったんです。この時はあくまで自分たちだけで楽しむために作っていました。
-そこからどのようにして今のような批評誌を発行するようになったのですか?
レポート集は何人かの先生に評価していただくことができ、これからも続けていきたいと思うようになりました。また、せっかく先生も評価してくださったということで、もし作るなら次はちゃんとした冊子にしたいとも思いました。
今のような冊子を作るために動き始めたのが、初めてレポート集を作ってから約半年後ぐらいです。ちょうどそのとき国文廃止が話題になっている時期でした。レポート集を作った時は周りが何を勉強しているのか知りたい、共有したいという大学生としての学びへの好奇心がモチベーションでしたが、冊子を作る際には、国文がどういうものだったのかを残していきたいという想いがモチベーションになりました。また、国文廃止に関して誰も異論を唱えないことに疑問を感じて問題提起したかったという想いもありました。
-冊子はどのような構成ですか?
冊子は特集とメンバー各自の論考の2つの部分で構成されています。
特集はしっかりテーマを考えて制作していきます。2号では国文の廃止に関しての特集とドイツ演劇に関する特集を組みました。神戸大学からの視点と海外からの視点という、ローカルとグローバルの全く異なる2つの視点を組み込んでいます。一方で論考の部分ではメンバーが自由に記事を書きます。そこではもともと僕たちが学んでいることを知りたい、知ってほしいという想いを実現する場として、特別なテーマを設けず自由に執筆することにしています。
-特集のテーマを決めるときに意識していることはなんですか?
国文廃止、国際人間科学部(以下、国人)発足などの、多くの人が興味を持つテーマを選ぶことです。自分たちに身近なローカルなテーマなら興味を持ちやすいと思うんですよね。一号では厳夜祭*について取り上げました。そして、そのローカルなテーマの中にも普遍的な問題提起を入れるようにもしています。例えば、神戸大学で起こった国文廃止は、日本全体の文系縮小、人文学の衰退という流れに繋がっています。多くの人の興味を惹けるようにローカルなトピックから切り込んで、普遍的な問題につなげていくという構造にはこだわりがあります。
*厳夜祭…2014年まで計41回開催された神戸大学のキャンパス内で行われていたオールナイトの大学祭。2015年以降、夜間学生が神戸大学に存在しなくなったことや大学側が祭りの形態を問題視していたことなどから大学内での開催は行われていない。
-国文廃止という出来事に対して、どう特集を組んだのですか?
国文廃止については主に対談を用いて特集してきました。2号に掲載した対談記事では、国文の前身である教養学部にも詳しい廰先生と、国文で最も前衛的な分野の一つであるカルチュラルスタディーズを研究している小笠原先生をお呼びしました。これは国文の起源と、最前線という両極端の視点から国文廃止について見てみようと思ったからです。
対談では、教養学部の存在価値、それが国文でどう変化してきたのか、それを理解した上でなぜ国文がなくなってしまったのか、という話をしました。また、なぜ国文に多様性があるかを考えると、神戸の地に多様性があるからではないか、という話にもなりました。さらに、世間の流れの中でどのように人文学を残し、発展させていくかという普遍的な議題にまで展開することができました。
正直、僕たちは未だ国文とはなんだったのかという答えを出せていないところはあります。ただ、国文廃止を取り巻く時代の流れや出来事について相当有意義な議論ができたとは思っていますし、国文がどういったものだったかを記録するという目的は果たせたのではないかと思います。
-山村さんにとっての批評とはなんですか?
まず批評という言葉は、非難のような否定的イメージを持たれがちですよね。でも、批評って「徹底的に物事を吟味していくこと」だと思うんです。例えば、カントの『純粋理性批判』という本は、純粋理性を否定しているものではありません。純粋理性とは何か?どのような可能性があるのか?といったことを”吟味”しているものなんです。だから僕はあるものごとに対して感情的な非難や賞賛をするのではなく、冷静に突き詰めて吟味することが批評なのかな、と思っています。
-研究とは何が違うのでしょうか?
研究のように形式的な基礎はあっても、全てを理論詰めで行うものではありません。
研究の根底には何かしらの事実があって、それを元に論理を組み立てたり、意見を考えたりすると思います。一方で文学とか芸術って、まず根底に何かしら伝えたいメッセージがあって、そこから内容などを構築していくという流れがあると思います。
批評って、その二つの間にあると思うんですよね。もちろん研究と同じく事実には基づいており、嘘をついてでっち上げるというわけではありません。でもそれだけじゃなく、文学のように、常にもっと自由な思考をどこかに持ってるものなんです。もし、批評って何だ、何が言いたいんだと思った方がいれば、2号と3号(5月中旬に発行予定)の前書きに自分たちの想いをまとめているので読んでいただきたいです。ツイッターでも無料公開してます!
-批評ならではの楽しさはなんですか?
自分の言いたいことを発信できるという事が根本的な楽しさです。
また、研究だと研究対象にのめりこんでいかないといけないと思うんですよ。例えば、Aという作家を研究する際は、Aの存在のみを追究していく。もちろん僕たちも批評する際にはAについて追究しますが、主には、対象が社会や世界、時代の中でAがどういった存在になるのかを考えます。そのような広い視点で考えを深めていけるのは批評ならではなのかなと思います。そして、それを自分で発信できることも魅力です。発信するために文章を書いたり、その物事をとりまく時代の流れを考えたりすることで、社会や世界に繋がっていく。曖昧な言い方ですけど、そのような点に魅力を感じています。
-なるほど。社会や世界に繋がることも魅力なんですね。
そうですね。あるメンバーは、僕たちの批評誌の根底にあるのは""不機嫌""の共有だと言っています。周りの人が何を言っているのかわからない、国文という自分達の学部が消える、といったことに対する不機嫌をもとに、読者に想いを伝えて繋がっていきたいと考えているからです。
2号であれば、国文がなくなることに賛成にしろ反対にしろ、何で声を上げないの?というのが不機嫌です。厳夜祭についても同じことです。そういう想いを形にして広めて行くということを不機嫌の共有と言ってるんですね。
こう考えると、僕たちとKooBeeさんってすごく対照的だなって思うんです。KooBeeさんは、やはり喜びや意義を提供することに価値をおいておられますよね。そういう点で、KooBeeさんは光のメディアで、僕たちはそれと対極に位置する不機嫌を共有していく""闇のメディア""だと思っています。だから、今回KooBeeさんに取材の話をいただけたのは嬉しいのですが、すごく不思議な気持ちでもあります(笑)。
-最後に神大生にひとことお願いします。
とにかく神大生に対して、もっと俺たちと普通に話そうぜ、と言いたいです。先ほど不機嫌の共有をしたいと言いましたが、不機嫌は個人の中にずっと隠されるべきではなく、共有されて初めて意味があると考えています。読者の皆さんに共有した後、僕たちの提起した不機嫌はおかしいと否定してくれてもいいんです。でもとにかく共有されて、周りとコミュニケーションをとっていかないと、不機嫌は解消も反対もされず何も変わらないんですよ。コミュニケーションを通して、批評の楽しさの1つである外部との繋がりを深めていきたいんです。だから、冊子を発行したのに身近な学生からの反応が少なかったことは一番辛かったです。
僕の目標は、感情的でも理論詰めでもない、自由な知のカタチが生まれるような場を神戸に作ることです。個人的には、それこそKooBeeさんみたいに、アルファツイッタラー*さえも巻き込んでいけるような新しい知のカタチを求めてるんです。正直、冊子を買ってもらえなくても、読書会などの誰でも参加できるイベントを通してコミュニケーションをとることができれば満足と思ってる部分もあります(笑)。特に読書会は学内で最大規模になりつつあります。興味を持っていただけたら、是非誰でもお越しください!
*アルファツイッタラー…Twitterのユーザーのうち、とりわけ多くのフォロワーを持ち、その発言が大きな影響力を持つユーザーのこと。
-URL等はこちら!是非チェックしてみてください!
Twitterアカウント 本誌の頒布情報や読書会の案内などを行っています!
https://twitter.com/yako_kobe
2号まえがき ダークユートピアにようこそ
https://drive.google.com/file/d/0B_fXl0GXldGkQ2Z0Zl9OcDZKRjA/view?usp=sharing
3号まえがき ねじれた架橋とおさまりの悪さ
https://drive.google.com/file/d/1FnpADOgk5RjqHDK6vtdSStTfDWUUv79N/view?usp=sharing
『夜航3号』注文フォーム
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