No.108

神大生、もっと俺たちと普通に話そうぜ。

山村玲央

(批評誌『夜航』執筆・編集メンバー/国際文化学部5回生)

Presented by Naho Takamochi,Jun Enomoto

Photo by Moe Kutsumi


国文廃止など身近な話題を切り口に、自分たちの想いの発信を通じて外部とつながりを図る夜航。もっと周囲の神大生と考えを共有できないのか、どうしてみんな身近な出来事に問題意識を持たないのか、というような"不機嫌"な感情が原動力だとか。メンバーの1人である山村さんに、活動に対する情熱を語ってもらった。

PROFILE

山村玲央

ローカルなトピックから普遍的な問題へ

-活動内容について教えてください。


半年に1回批評誌を作ることと、学内外で読書会を開催することが主な活動です。批評誌は現在2号まで刊行していて、神大や神戸にまつわるものからメンバーが個人的に興味があるものまで、幅広いテーマで論じてきました。読書会では、夜航に所属するメンバー以外にも高校生や院生など多くの人が集まってくれています。他にも、広報活動の一環でラジオを録ったり、Twitterで読んだ本の紹介をしたりしています。最近は知名度が上がってきて、活動の幅を学外にも広げています。去年の9月には授業で関わった先生がきっかけで、ロバート・フランクという写真家の個展のホームページに寄稿させていただきました。それ以外では、去年の11月には学内の「同人誌メディアの批評的可能性」というシンポジウムに学生代表としてメンバーが登壇しました。

-幅広く活動なされてるんですね。設立のきっかけは何ですか?


3年ほど前に、同じ国際文化学部(以下、国文)の友人の間で、特に力を入れて書いた授業のレポートを集めて冊子を作ったのがきっかけです。国文は多様な学問分野を扱う学部ですが、その一方で周りの人たちが何を勉強しているかが見えにくいんです。それに加えて、僕自身も周りの人たちが学んだことに興味がありましたし、自分の学んだことを周りに伝えたいと思っていました。そこで、たった4人でしたが、普段どのような勉強しているのかが分かるようにレポート集を作ろうということになったんです。この時はあくまで自分たちだけで楽しむために作っていました。

-そこからどのようにして今のような批評誌を発行するようになったのですか?


レポート集は何人かの先生に評価していただくことができ、これからも続けていきたいと思うようになりました。また、せっかく先生も評価してくださったということで、もし作るなら次はちゃんとした冊子にしたいとも思いました。
今のような冊子を作るために動き始めたのが、初めてレポート集を作ってから約半年後ぐらいです。ちょうどそのとき国文廃止が話題になっている時期でした。レポート集を作った時は周りが何を勉強しているのか知りたい、共有したいという大学生としての学びへの好奇心がモチベーションでしたが、冊子を作る際には、国文がどういうものだったのかを残していきたいという想いがモチベーションになりました。また、国文廃止に関して誰も異論を唱えないことに疑問を感じて問題提起したかったという想いもありました。

-冊子はどのような構成ですか?


冊子は特集とメンバー各自の論考の2つの部分で構成されています。
特集はしっかりテーマを考えて制作していきます。2号では国文の廃止に関しての特集とドイツ演劇に関する特集を組みました。神戸大学からの視点と海外からの視点という、ローカルとグローバルの全く異なる2つの視点を組み込んでいます。一方で論考の部分ではメンバーが自由に記事を書きます。そこではもともと僕たちが学んでいることを知りたい、知ってほしいという想いを実現する場として、特別なテーマを設けず自由に執筆することにしています。

-特集のテーマを決めるときに意識していることはなんですか?


国文廃止、国際人間科学部(以下、国人)発足などの、多くの人が興味を持つテーマを選ぶことです。自分たちに身近なローカルなテーマなら興味を持ちやすいと思うんですよね。一号では厳夜祭*について取り上げました。そして、そのローカルなテーマの中にも普遍的な問題提起を入れるようにもしています。例えば、神戸大学で起こった国文廃止は、日本全体の文系縮小、人文学の衰退という流れに繋がっています。多くの人の興味を惹けるようにローカルなトピックから切り込んで、普遍的な問題につなげていくという構造にはこだわりがあります。
*厳夜祭…2014年まで計41回開催された神戸大学のキャンパス内で行われていたオールナイトの大学祭。2015年以降、夜間学生が神戸大学に存在しなくなったことや大学側が祭りの形態を問題視していたことなどから大学内での開催は行われていない。

-国文廃止という出来事に対して、どう特集を組んだのですか?


国文廃止については主に対談を用いて特集してきました。2号に掲載した対談記事では、国文の前身である教養学部にも詳しい廰先生と、国文で最も前衛的な分野の一つであるカルチュラルスタディーズを研究している小笠原先生をお呼びしました。これは国文の起源と、最前線という両極端の視点から国文廃止について見てみようと思ったからです。
対談では、教養学部の存在価値、それが国文でどう変化してきたのか、それを理解した上でなぜ国文がなくなってしまったのか、という話をしました。また、なぜ国文に多様性があるかを考えると、神戸の地に多様性があるからではないか、という話にもなりました。さらに、世間の流れの中でどのように人文学を残し、発展させていくかという普遍的な議題にまで展開することができました。
 正直、僕たちは未だ国文とはなんだったのかという答えを出せていないところはあります。ただ、国文廃止を取り巻く時代の流れや出来事について相当有意義な議論ができたとは思っていますし、国文がどういったものだったかを記録するという目的は果たせたのではないかと思います。


河内 鏡太郎

(文学部卒元ジャーナリスト)

どんな場面でも自分の感性、五感を信用して欲しい


鈴木大策

(文学部2回生)

再出発は、いつでもできる。


藤谷 亮太

(無一文で日本一周を達成した男)

日本人は優しかったです。


切東 優

(JUNK SHOP 店主)

人々の集まるお店を作りたかったんです


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