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No.124

まずは美術館に行くこと。知識があれば、もっと面白い。

宮下規久朗

(神戸大学文学部美術史学科教授)

Presented by Kanane Hase, Shiguma Inoue

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神戸大学文学部美術史学科の教授であり、多数の著書を持つ宮下規久朗さんの半生と美術史学という学問への情熱に迫る。

PROFILE

宮下規久朗

-子供の頃から美術に興味があったのですか?


自分で言うのもなんですが、絵はすごく上手かったんですよ。小さい頃からずっと絵を描くのは好きだったし、コンクールなどでもいつも入賞していて周囲から天才扱いされていたので、画家になるつもりだったんです。でも自分の絵と昔の巨匠の絵を比べてみて、自分の才能は大したことないって、だんだんわかってきたんです。幼心にも敵うわけがないと思いました。そんな中で小学校高学年の頃に、目で観て学ぶ”学問としての美術である”美術史学というものを知りました。近所の本屋で見つけた高階秀爾の『名画を見る眼』(岩波新書)という本でしたが、美術を見ることも描くことと同じくらい好きだったので、それ以降はその道に進むことを目指し、この高階先生に習いたくて東大の美術史学科を目指しました。で、中学あたりからそれまで苦手だった勉強もがんばるようになり、実際この先生につくことができて美術史の世界に入って今に至っているというわけです。とくに17世紀イタリアの画家カラヴァッジョにひかれ、卒論でも修論でもこの画家を研究し、その後もイタリアにも何度も調査に行って研究を続けてこの画家の本を6冊ほど刊行し、日本ではじめてのこの画家の展覧会を監修することもできました。

-先生の著作を読ませていただいたのですが、美術部にも入っていたとか?


大学の一時期ですが、美術部でした。大学のときに美術部で自画像を描いたんですが、それを持って帰らずに部室に置いたままにしていたらダーツの的になっていたことがあります(笑)。あと、小さいころから美術と同じくらい本が好きだったので、高校(愛知県立旭丘高校)では図書委員長兼図書部の部長にもなりました、その権限を使って、自分では買えない高価な画集など美術の本を山ほど買ってました。そのせいで、今でも母校の図書館には美術の本だらけになってます。またそこから私のような美術史家が育つとよいのですが(笑)

-大学卒業後も美術史学を続けられたのですか?


大学院で研究しているうちに、近代美術の現場に興味を持つようになり、学芸員になりました。もう30年も前ですが、兵庫県立近代美術館(現在では兵庫県立美術館)に採用されて、はじめて神戸の地に来ました。学芸員の資格を持っていても実際に学芸員になるのは難しいんです。めったに募集がない上にすごい倍率です。僕は初めての受験で通ったのでかなりラッキーでした。私の受けたときの試験は50人のうち1人の採用で、50倍ですが、もっとすごい倍率のことも多いんです。試験は古今東西の美術の問題と、やってみたい展覧会の企画などの小論文です。から学芸員になるのは、運と実力ですね。ちなみに神戸大学の美術史学科は規模が小さく、先生にも一人一人手厚く指導されますので、他大学に比べて有利だと思います。卒業生の学芸員も多く、全国的にも誇るべきことですね。

-なぜ学芸員からなぜ教授になろうと思ったのですか?


その後、バブルの産物で、東洋一の規模となる東京都現代美術館の準備室に移って、現代美術の世界にどっぷりひたり、アンディ・ウォーホルの展覧会などに携わりました。海外出張も多く、忙しいけど充実した日々でした。こうした美術館の学芸員という仕事は、大きな展覧会を企画して、マスメディアでも活躍できる。ただし、館内の事情や、新聞社や百貨店からの依頼とかによって、あまり気の進まない展覧会でもやらなきゃいけないし、苦手な金銭関係など膨大な事務仕事もあり、学問的でない雑多な仕事がほとんどなんです。担当する展覧会の直前はトラックに乗って何泊も作業員とともに集荷し、そのトラックの助手席でカタログの校正をし、さらに遅くまで展示作業もあり、徹夜も多いです。こうした生活で、自分ならではの研究の時間はほとんどとれない。そうした生活に徐々に嫌気がさし、大学でちゃんと自分の研究を深めたいと思うようになりました。そこで、たまたま神戸大学の公募があったので試験を受けたところ採用され、震災直後の神戸に戻ってきたのです。後で、錚々たる現職の大学の先生たちがこの公募を受けていたことを知って焦りました。審査されるのは、それまで書いてきた論文など業績のみです。私は学芸員時代に各種の展覧会のカタログに書いたほか、展覧会と直接は関係のない自分の研究も続けることを心がけていたので、専門のイタリア・バロック美術だけでなく日本美術や現代美術など専門分野が広いと思われたようです。もし学芸員をやっていなかったら、自分の狭い専門はもっと深められたかもしれなせんが、美術史への幅広い視点を持つことはできなかったと思います。兵庫近美時代にやった日本近代美術の研究は、『刺青とヌードの美術史』(NHKブックス)、都現美時代の仕事は『ウォーホルの芸術』(光文社新書)になっています。

-先生の教えられている美術史学とはそもそもどういう学問なのですか?


美術史学とは一言でいうと、「美術作品の意味を解読して歴史に位置付ける学問」です。絵を見るとき、美しいとかきれいだっていうのは多くの人がもつ感想で、そこには芸術センスなどが必要だと思われていますよね。でも美術を見るのにそんなセンスなどはまったくいりません。必要なのは知識です。美術は、文字と同じく読むものでもあって、読み方のルール、つまりコードというものがあります。それを研究するのも美術史の大きな役割です。学問として美術をとらえるというのは、なぜそう見えるのか、どのような意味や機能を持っているかといった、その作品の特質を言葉で表現することです。美術史学をやっているというと「絵を描いてるんですか?」なんてことをよく聞かれるんですが、実技の美術と美術史学とはまったく別物です。日本の学校教育での「美術」という科目は「お絵かき教育」ばかりで、「鑑賞教育」はないがしろにされています。その結果、美術とは好き嫌いで感覚的に見ればよい、という誤った観念が日本では蔓延しています。美術というのは言葉と同じく文化ですから、好き嫌いで見るものではないのです。感覚ではなく知識によって理解するものなのです。「美術=宗教」で、美術は本来宗教と切っても切れない関係にありますが、日本では政教分離が徹底されているので、学校の授業では宗教的な中身に踏み込めず、表面的な鑑賞に留まってしまうというのは問題としてあります。そこから宗教を学んでいっても面白いと思うのですが。美術史を学べば、知識によって美術を見る習慣がつき、どんどん美術のおもしろさがわかって、結果的に芸術的な感覚まで研ぎ澄まされていくものです。

-新聞の連載など一般向けの文章を書き始めたのはいつですか?


学芸員時代は時間の拘束も長く、肉体労働と雑務の日々でとっても忙しかったので、一般向けの仕事を始められたのは大学に来てからです。そういう仕事では、時事的なものを取り扱うことが多いですね。話題の展覧会や美術界の話題や、自分のもともとの考えとを取り混ぜて書いています。最初は学術的な文章ばかり書いていたのですが、頼まれた原稿をいろいろ書いてるうちに「この先生の文章は面白い」と思われてどんどん仕事の幅が広がっていきました。資生堂のフリーペーパー『花椿』にも長らく連載を持っていましたが、東京都現代美術館時代に一緒に仕事したデザイナーの仲條正義さんが花椿のデザイナーで、そこで再会できたのはうれしかったですね。この連載は『裏側からみる美術史』(日経プレミアシリーズ)という本にまとまっています。ほかにも本になったものでは、『東京新聞』や雑誌『エクラ』に連載していた連載をまとめた『モチーフで読む美術史』や『しぐさで読む美術史』(ちくま文庫)もあり、8年前から今まで毎月『産経新聞』に連載している「欲望の美術史」はもう3冊の光文社新書になっていて、ありがたいことです。

-先生の著書を読んで私も六甲カトリック教会に行きました。


よく行ってくれましたね!私も今朝行ったばかりです(笑)。40歳のとき、近所のプロテスタントの教会で洗礼を受けたんです。プロテスタントもカトリックも同じ宗教でやり方が異なるだけだと思っているし、美術史の観点からはカトリックのほうが大事なので、大学の近くの六甲カトリック教会に行き寄っているんです。プロテスタントは基本的に教会堂を開放していなくて、普通は閉まってるのですが、カトリックの教会はいつも開いていていつでも入れるんです。日本の神社もそうでお賽銭上げてお参りするのも自由ですが、宗教的な場というのはそのように、気軽に立ち寄れる、日常的な祈りの空間であるのが大事だと思っていて、今まであちこちにそのようなことを書いてきました。

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