PROFILE
徳永滋之
自分オリジナルの幸せモデルを見つけてほしい
-ー自己紹介をお願いします。
経営学部6回生の徳永滋之(とくながしげゆき)といいます。初対面の人には大学院2回生と嘘をつくこともあります(院生の方々ごめんなさい)。今はフリーランスとしてデザイナーや営業代行、記事執筆や採用のお手伝いなどで生計を立てています。僕の名刺にはデザイン、ライティング、イベント、DJ、漫才 が仕事と書いています。後ろ2つはハッタリです。仕事ください。ちなみに今年で3度目の挑戦になるのですが、M‐1 グランプリに出場してます。今年ようやく1回戦を突破できて次2回戦です。勝ち進んでいきたいですね。
今は地元福岡に住んでます。6年目の前期で単位取り切ったつもりで神戸の家を引き払って福岡で働いているんですけど、ここ数週間と遠隔で教務と揉めていて。どうやら卒業できない可能性も出てきました。ですので神戸にたまに出没することもあると思いますが、そのときはよろしくお願いいたします。
-ー入学してから今までの6年間、どのようなことをされてきたのですか?
1・2回のときは AIESEC と GhanaGhana の2つのサークルに入っていたのですが、3回生のとき AIESEC の副代表になり、AIESECに活動を絞りました。 4回生のときは、友人と3人で大学1・2回生に中小企業のインターンを紹介する事業を始めました。少し経って就職活動を始めてIT 系ベンチャー企業の実務型インターンに参加したのですが、インターン生という身分上、任せてもらえるものも限られていたので、「それしかやらせてもらえないなら関西に帰ります。僕に案件1個任せてください。」とわがままを言って色々させてもらいました。髭も剃ってないしスーツも着てないし、今考えると恥ずかしくなるくらい尖っていました(笑)。周囲の社員さんの手助けもあって(というかそれが全てでした)、奇跡的に成果をあげることができ、それが評価されて内定をいただきました。そこからは内定者として人事の採用を手伝ったり、神戸では自分の事業を推進していったりして過ごしていましたが、内定から1年後、友人が貰っていた会社の内定を辞退して起業すると聞いたんです。そっちのほうが面白そうだなと思って友人のスタートアップに参加することを決め、内定を辞退しました。スタートアップでは、年が明けて3ヶ月は1日 15 時間くらい仕事をしていました。高校時代に公立校ながら甲子園を目指して毎日練習に励むみたいな青春の期間でしたね。僕高校時代帰宅部なので想像でしかないですけど(笑)。売り上げが立つまでは貯金を切り崩して生活するつもりでしたが、2度目の留年をしてしまっていて、学費など諸々で貯金が一気に無くなり、すぐに稼ぐ必要が出てきたためスタートアップをやむなく離脱することになり、フリーランスとして働くことになりました。最初は、知り合いの社長の家に行きお子さんとDIYして遊んで小遣いを貰ったり、先輩の勝負合コンにお供して場を盛り上げて、お目当ての子と先輩が付き合うまでの仲介を頑張ってお金をいただいたりなど、クソみたいな仕事(仕事と言える大層なものではないですが)をして食いつないでいました。初めてデザインの仕事を任せてもらって以降、まともなフリーランスとして働けるようになって、今に至ります。
-ーどうして留年してしまったんですか?
学生時代にいろんなことに挑戦したからですか?と勘違いされがちですが、違います。ただただ怠惰で、且つ劣等生なだけです。高校は偏差値70超えの九州では有名な進学校なのに、高校時代は全国偏差値が40前半だったくらい勉強ができなかったんです。1年間浪人して奇跡が起こり、なんとか神大には合格できたのですが、そりゃもう同級生みんなは全国各地の優等生が集まってるわけです。戦えるわけないですよ。数学の余弦定理を浪人の秋に初めて知ったレベルなので(笑)。1、2回生のときにひたすら単位を落としました。僕のうりぼーネットの成績一覧ひどいですよ。少しメンタルが弱い人が見たら気絶すると思います。
-ーあんまり大学に行ってなかったんですか?
入学してすぐは授業には行ってませんでした。でも基本は行ってましたよ!友達と会うのはめっちゃ楽しかったので。最初に行ってないのには理由があって、話は浪人時代まで遡るのですが、高3の時から付き合っていた彼女に振られたんです。僕は浪人、彼女は私立の大学に行っていて上手くいかなくて。あまりのショックに半年間全く勉強が手につきませんでした。その結果、10 月の模試で神大が E 判定、センターが合計で 520 点くらいだったので、これはさすがに受からないと思って本格的に勉強を始めました。そのときのモチベーションが「神戸大学に合格して俺は彼女にもう一度告白するんだ!」だったんです。勉強しすぎて脳の神経を損傷して 1 週間入院したこともあったくらい頑張りました。人間って限界を超えて頭を使うと脳神経が損傷してしまうということを初めて知りました(笑)。入院中は1週間何も考えたらダメと言わたので、無心で英単語を眺めて暗記していましたね。その甲斐あって神大に合格して、もう一度彼女に告白して付き合うことが出来ました。でも、僕が神戸に発つ 4日前に、彼女に「やっぱり遠距離恋愛は無理。」ってまた振られたんです。いや、知ってたやん。俺が神戸に行くこと知ってたやん。それで人間不信に陥って大学にほとんど行かなかったというのが理由です。「人間なんてクソだ、社会なんてクソだ」と唱えながら、ウイスキーのストレートは飲めないからコーラで割ってひたすら飲んでいました。今考えたら衝撃の大学生活の幕開けです。キラキラの大学生活なんてこの世にはないと思ってました。幻想だと。当時はこんなに大学生活が楽しくなるなんて思っていませんでした。もちろん6年も通うハメになることも予想外でしたが(笑)。
-ー起業やフリーランスのお仕事は、勉強してから始めたんですか?
勉強してないです。何かを勉強するって、その”何か”の全容を理解してから進めたほうがいいと思っています。だから、1回やってみてから、分からなかったこと、出来なかったことを勉強したほうが効率が良い。前もって勉強したものが全て活かされる保証も無いわけですし。
準備なんていらないから、とにかくやってみて失敗して、勉強して次に活かしたらいい。失敗をすると気分は下がるけど、次にするべきことが明確に見えてくる。多くの人が失敗したくないと思いますが、乗り越えたら確実にレベルアップできるし、失敗は癖になりますよ。大学生活でした失敗の数のランキングがあるとしたらかなり上にくる自信があります。まあ人より2年長いので少しズルイ気がしますけど(笑)。
-ー色々な経験をされていますが、今までで徳永さんが一番大きな影響を受けたのは何ですか?
一番を決めるのは難しいですけど、AIESEC での経験ですね。一番失敗したのも、AIESEC です。反省する材料が多かったのと、インパクトのある経験が出来ました。いろんなタイプの人がいる分、衝突も多かったです。僕の人間性の問題ももちろんあると思うんですけどね(笑)。
初めてチームメンバーを持った時も、副代表になった時も、いろんな人とぶつかりました。僕が原因でメンバーに去られたこともありました。そのときはめちゃくちゃ沈みましたね。酔っ払って彼女に泣きついたこともあるそうです(酔ってたので覚えてないですけど)。
-ー衝突はどう解決していったんですか?
1個例を出すと、僕が副代表をしていたときの代表がカチカチのロジカル人間だったのですが、そのとき僕は感情や直感で発言するタイプだったので、全然意見が合わなくて言い合いばかりしていたんです。僕はその当時、物事を論理的に伝えることが苦手で、そいつからしたら「何言ってんだコイツ」みたいな。僕からしたら「なんでわかってくれないのよぉ!」って感じで、典型的な劇場型カップルみたいな(笑)。埒が明かないので、分かりやすいレベルで僕の思考を構造化しようと、模造紙に 2人で書き出していったことがありました。するとコミュニケーションが進んで、2人で良い案が出せて。そんなことの連続でしたね。お互いぶつかりがちとは言え、リスペクトを持っていたので、そういう冷静な対処(男2人が強い口調で言い合いをしてて「よし!構造化してみよう!」と言って急に模造紙広げる光景、今考えたらかなりシュールですね)ができました。それを癖づけていたので今では構造的に考えるのが得意になって、そいつには本当に頭が上がらないです。今でも感謝してます。
-ー徳永さんの原動力は何ですか?
好奇心ですね。AIESEC だから何か凄いことしなきゃ、経営学部だから起業しなきゃみたいな変な義務感で意思決定したことは無いです。本当はずっとゴロゴロしていたい人間なのに、面白そうなことを見つけたら参加したくなってしまう好奇心が僕の原動力です。でもその好奇心がずっと持続するほどのものはまだ見つけられていなくて、実は大層な夢なんてないんです。死ぬまでやっていきたいのは人と喋ること、あとお笑いとDJくらい。夢が無くても、何か面白いものを見つけて首を突っ込んでいくうちに、最終的に夢と言えるものに辿り着くのではないかと思います。このペースだと30歳手前くらいで見つかりそうな気がします。あくまで予想ですけどね。
-―好奇心を抱いても、行動に移せない人もいると思いますが...。
行動に移さないということは、そこまでそれに興味が湧いてないのかもしれない。気付いたら行動している、くらいのレベルのものが好奇心というんだと思います。あと何かに惹かれる感度をびんびんに尖らせないとダメです。
-ーその感度を上げるにはどうしたら良いんですか?
本を読む。旅に出る。人と話す。しょうもないことで感動するくらい感覚を研ぎ澄ませていったら直感も生まれやすいと思います。元々人間って、現状維持のための生存本能が強くて、新しいことを始めようとすると頭が勝手に根拠の無いネガティブイメージを流して行動を止めるようにプログラムされています。だから、これやりたい!っていう直感がせっかく生まれても、頭が論理的にあれこれ考えて潰していってしまう。出来ない理由ばっかり考え出してしまうんです。たくさん感動して直感を強めていって、頭の論理的な部分を突き破るくらいになれば、行動に繋がる大きな好奇心を持てるんだと僕は思います。やりたいことに色々理由をつけてやらないのは人間の本能ですが、本能を意識的に変えていくことが大事ですね。
-ー最後に、神大生に一言お願いします。
卒業単位の計算ってけっこう面倒で数え間違えがよく起こるから、何回もチェックしたほうがいいですよ!
ってのは冗談で(笑)
この取材を受ける前に他の情熱取材の記事を読み込んでみたんです。神大には面白い人がいっぱいいるな、と感動しました。量産型大学生という言葉をよく聞きますが、規格化されたロボットじゃあるまいし、一人一人に違いはあります。めっちゃあります。考え方や持っているスキルなど。その違いをどんどん尖らせていってほしいなと思います。そしていろんな人と関わりあってほしい。いろんなものに触れ、いろんな考えを吸収してほしいです。そっちのほうが確実に人生は楽しいです。いろんな生き方を試してみて、自分オリジナルの幸せを追求していってほしいです。
昭和時代はいい大学に入っていい企業に就職して結婚してローンで一軒家を買って定年まで勤め上げ老後を過ごす、といった幸せのモデルが確立されてました。でももうそれは"昔"です。今は幸せのモデルに無数の選択肢が存在します。僕みたいな身分が高度経済成長期に生まれてたら絶対落ちぶれてたと思います。いや今も落ちぶれていますけど(笑)。でもこんな僕にも仕事をくれる企業さんがいます。うちに入らないかとスカウトしてくれる企業さんもいます。全然生きていけます。金にならない漫才をけっこう本気で取り組む余裕もあります。僕は今めちゃくちゃ幸せです。昔の幸せモデルからはかけ離れてしまってるけど、楽しく生きてます。
だから、みなさんは既定のルートから仮に外れたとしても、全然落ち込まないでほしい。「お!人生おもろなってきたやん!」くらいに捉えて、ご機嫌に生きていってほしいです。死にたくなるくらいしんどい時も出てきます、生きててよかったーと心から思える時もあります。その人生の波まで楽しめ始めたら、もう人生極めたようなものです。
あ、あとフリーランスって基本的に時間はあいてるほうなので、なんか面白いこと企ててる人、面白い機会を探してる人などいればTwitterなどで連絡してください!
ありがとうございました!!!!!