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「ツイッタラー」の謎に迫る

にじょう





ツイッタラーの謎に迫る


今回は「ツイッタラー」とよばれる人たちについて取り上げ、その人々の定義と謎について迫っていく記事である。



ツイッタラーの定義


 まず、ツイッタラーの定義について考えていく。
一番確実な定義としては「ツイッタラーとはTwitter(現X)上のユーザーのことである。」が挙げられる。これは間違いではないが、範囲が広すぎる。そこでタイムライン上で自称、あるいは他称ツイッタラーのユーザーをいくつか確認すると、1日でかなりの数のポストやリポストをしていることが分かる。このことからツイッタラーの必要条件としてXに毎日長時間を費やすということがあると言えるだろう。他にも、多くのツイッタラーは自称、社不(社会不適合者)であったり自称、顔曲がり(顔が整っていないこと)である場合が多いが、これらはこういった言い方でなくとも自分に対して同じような意見を持つ人がツイッタラー以外にもいて、なおかつそうでないツイッタラーも居ると思われるので除外する。
 では、ツイッタラーであるための十分条件とはなんだろうか。今回の記事では、X上でしか接さないコミュニティに属しているということをその条件として挙げたい。1日に多くのポストをすることはツイッタラーでなくともあり得る(壁打ち垢など)が、X上でしか接さないコミュニティに属していてツイッタラーではない、というのはかなり無理筋ではないだろうか。さらに、確認したアカウントではそのようなことが実際に行われていたゆえ、必要十分条件であると言える。
以上から、この記事でのツイッタラーの定義は「X上でしか接さないコミュニティを持つXユーザーのこと」であるとする。



ツイッタラーの特徴と謎


 上で述べたように、ツイッタラーの特徴として独自のコミュニティを持ち、自称社不、顔曲がりが多く、日々タイムラインで基礎教養哲学Aでも取り上げられつくした哲学的議論や自分の月並みな恋愛遍歴の話を繰り広げるということが挙げられる。このツイッタラーたちが属するコミュニティというのはある程度現実とリンクしており、「〇〇界隈」という名前が付けられていることが多い。例えば神戸大の学生達が多く属するコミュニティは神大界隈といった具合である。とここまで書いたところで、これまでの文章をひっくり返す可能性のある事実を発見した。それはツイッタラーによく見られる文化の「エンカ」である。「エンカ」とはencountという英単語の略でその単語が持つ意味通り、ツイッタラー達が現実世界で実際に邂逅し仲を深めることを指す。現実で会ってしまえばさっきの定義が崩れてしまうではないか。まあ一旦そこは置いておくとして。さらに!「エンカ」を果たしたツイッタラー達は口を揃えて「〇〇(ユーザー名)とエンカ!めちゃイケメン/美女でした!」などとのたまうではないか。普段はあれほど自身の顔曲がりを自称しているのにも関わらず。これに関しては以下の3通りの場合が考えられる。

1.本当にイケメン/美女である場合
2.本当は別にイケメン/美女ではないが、社交辞令的に言っている場合
3.ワンチャンを狙ってそう言っている場合


まず1の場合についてだが、もちろんこの可能性もある。ただ、神戸大学内のイケメンなどの比率とツイッタラー内のイケメンの比率は基本的に同じになると考えられる。そこから考えるとあまりにもツイッタラー内のイケメン/美女の割合が多く、現実的とは言えないだろう。
次に2の場合。これが一番穏当ではないだろうか、相手の容姿を悪く言う必要などはないのだから。ただし、ツイッタラー達の多くが社不を自称しているのだから、そんなところで社会性を出すとキャラが崩れてしまうのではないかという疑問は残る。
最後3の場合、これは部分的にはあるかもしれないが、同性同士でそのようなことをする理由が少ないゆえ、考えにくい。
よって、2の場合が妥当だと考えられる。



       



最後に働くアリ、社会性を持つツイッタラー


この現象が起こる理由はなんとなく理解できる気がする。ツイッタラーたちは社会性がないからインターネット(インターネッツ)にしか居場所がない、と言うようなことをいう。しかしここで重要になってくるのは、インターネットに居場所がある、というのはつまりそこで一つの社会が形成されているということである。当然、そこで生きていくためには社会性が必要になってくるのは当然だろう。

アリの巣には、働かないアリが2割生まれるという。では、働かないアリだけを集めた巣を作ればどうだろうか。驚いたことに、その中の8割は働き出すようだ。

この実験を何度も何度も繰り返せばどうなるのだろう。数が100匹、20匹、4匹、と減っていき最後の1匹になるまで働かなかったアリを自分は讃えたい。君こそがホンモノであると。

ツイッタラーたちの中にもそんなホンモノはいるのだろうか。



終わりに〜六甲山より愛をこめて〜



ここまでツイッタラーたちについて自分なりに迫ってきたが、自分の視野の狭さや、確認した事例の少なさが故に言葉足らずなところ、間違っているところも多々あるだろう。
なんだか最後の方は批判がましくなってしまったところもある。思えば、自分はタイムライン上で楽しそうにしているツイッタラーたちが羨ましかったのかもしれない。そこで自ら近づくのではなく、離れた場所から分析しようとする自分こそが最後に残るアリだったのか。なんにせよ、ツイッタラーたちよ永遠に。



この記事を書いた人

にじょう

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