松岡広路

Kouji Matsuoka

持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)を専門とする松岡広路先生。教員になるまでの経歴やESDを研究するようになったきっかけについて話を伺った。

教員になるまでは何を
されていましたか?

 教員になる前は、いろいろあってまだ大学院生でした。神戸大学の教員になったのは 34 歳の時なんです。僕は大学を卒業してから、まず1年間バングラデシュに行ってたのね。バングラデシュを安易にフィールドにして卒論を書いたんだけど、それが現地の人に見せられないというか、「これは丁寧にもう一度調べ直さないと申し訳ない」と強く思い始め、就職もしないで、片道切符で渡航した。無鉄砲な思い付きだったかな ( 笑 )。実際に現地に行ってみると、フィールドで気が付くこと、教わることは、とても多いけれど、「自分の勉強が足りないなあ」「見えるべきものが見えないなあ」ということに気づかされて、それで帰国して大学院に入ったんですよ。ところが、ほんとうは2年で修了しなきゃいけないところを3年かけて修士課程を終えました。研究室の先生とも大喧嘩したなあ ( 笑 )。「こんなところではやってらんない」って思って博士への進学も、いったんやめちゃったんです。

博士課程への進学をやめた後、出版社での勤務を経験し、大学の先生の声掛けがきっかけで再び大学院に戻ってきた松岡先生。
その後どの様な経験をしてきたのだろう。

博士課程の時も、研究の土壌を作るためにというか、研究テーマをめぐっていろんな遊び、余白の部分、英語では「リダンダント(redundant)」と言うんだけど、それを謳歌してふらふらしていたわけですよ、5年も ( 笑 )。そのころに、マイノリティとか、支え合いながら生きているような人たちの、コミュニティとか社会の可能性のようなものをすごく感じるようになったかな。まあなんか、つまみ食いのようにいろんなフィールドに出かけて行ったよ。外国人労働者の人たちと出会って、どうすれば日本の人たちが彼らと友達として付き合って、彼らの生活のことをよく考えてくれるようになるかなあと考えたり、そのためにイベントをやったりとか、中学校に行けてない人たちのために夜間中学を自分たちの手で作るんだっていう運動に少し関わったりとか、地域で福祉活動をしている人たちと出会って、福祉教育に実際に触れてその面白さを知ったりとか、ほかにもいくつかフィールドを転々として人が出会い学ぶエッセ ンスを教わったように思う。そうこうしているうちに、神戸大学でポストが空いたから応募してみないかと、神戸大学の先生が引っ張って下さって、なんとか就職させてもらったのよ。 なんかあんまり自主的ではなく人に声をかけられて人生を歩んできたきがするなあ ( 笑 )

今教えられてる ESD
などの分野に踏み込んだのは
いつ頃なんですか?

「持続可能な開発」というキーワードは、1980 年代、大学院生の頃から知っていた。ただ当時は「未来のことについて考える前に今だって大変なこといっぱいあるじゃないか」「持続性と開発の両方を扱うなんて、ものすごくいい加減なキーワードだ」と思っていたんだよね。
でも、さっき言ったようなさまざまなフィールドワークをする内に、今のことだけじゃなくて未来を眺めながら、自分では「いかんともしがたい」と思うような社会問題と自分との関係をもう一回切り結ぶような実践が必要かなとは思い始めていたね。そして、「これだ! ESD だ!」と思い始めたのが 21 世紀に入った頃。直接的にはタイのバンコクで開催された ESD の国際会議にたまたま出席して感動したことが始まりかな。ESD をベースにしていろんな活動を整理し直していくと全部がうまくつながっていくんですよ。例えば、コーラスとかフラワーアレンジメントとか、一見自分の好きでやってる趣味のような活動もすべてが ESD につながってるなあって思い始めたわけ。レジャー、趣味、遊びを含めて自分の興味関心のあることが豊かじゃなかったら、あらゆるいのちを大切にする生き方を創造する ESD は生まれてこないんだということもだんだんわかるようになってきた。また、今注目しているボランティア実践なんかも、大切な ESD の要素なんだなと思うようになった。「僕がやりたかったことはこれなんだなあ」ってことがやっと 50 歳ぐらいになって見えてきたかな。つまり、学生の頃は、時代もあったけれど、ESD には無頓着だったんですよ。

神大生にむけて何か一言!

 恋をしてほしい ( 笑 )。いろんな恋があるんだけど、まずは生身の人間同士で恋してほしい。恋ってのは面白いよ。周りを見えなくもするし、逆に、自分ってものを見つめ直すことにもなる。恋というか、人を好きになるという感情をもっと大切にしてほしいと思う。これを広げて考えると、恋の対象は人じゃなくてもいいのかもしれない。でもまずは、人間の中での恋をしてほしい。そして、さらに多くの人に恋をして ( 笑 )、や、ゆくゆくは他の生き物、あるいは、いろんな事柄や事象に対しても「好きになる」って感情をもう一回復活させてほしいね。自分の感情が沸き立つような、ワクワクするとか、ドキドキするとか、あるいはキュンとするとか、そういう感覚的な言葉がふさわしいような場面に身を置こうとする努力というか、そういう生活を神大生にしてほしいと思うなあ。そんな経験をしながら、持続可能な社会を作る仕掛け人になってほしい。