KooBeeと僕
ひょんなことからKooBeeで記事を書くことになった。「自由に書いて」とは言われたものの、要求があまりに漠然としていて途方に暮れている。
そもそも、自由に書くことを求められた時点で果たしてそれを自由と呼べるのだろうか。「自由に~~しなさい」という文言はすでに重大な矛盾を孕んでいる気がしてならない。
書くことがなさすぎてついKooBeeを責める口調になってしまった。KooBeeは悪くないのに。僕が何も思いつかないのがいけないんだ…ごめんねKooBee……。
会話の糸口が見つからないとき人はしばしば天候の話をする。僕もそれに倣って、とりあえずお天気の話をしてお茶を濁すことにしよう。天候の話題は身近で、当たり障りがなくて、誰かが会話から取り残されることもない。
KooBeeと僕、初対面のふたりにはもってこいの話題と言えよう。今日の天気は晴れ。中庭には新入生たちが集い、親交を深めているようだ。いい天気だね。このあたりは風が強いね。そうだね。そんな会話もきっとあちらこちらで繰り返されているだろう。
今までよりも雨が苦手になった。
大学生になってしばらくしてから一人暮らしを始めた。通学時間が大幅に短縮され、自炊するようになり、生活は大きく変化した。
そのなかで天候に対する捉えかたも変わってきたように思う。実家暮らしをしていたとき、雨が降れば「大学に行くのが面倒だなぁ」と思っていた。今でも、雨の日の大学までの坂道が億劫なのは変わらない。だが、今までよりも雨が苦手になった。洗濯物が干せないからだ。
僕の住んでいる部屋にはベランダがなく、洗濯物は屋上に干すしかない。雨除けもないので雨が降れば当然それらはびしょびしょになる。だからといって部屋干しをすると、乾いたあとも湿ったような匂いが抜けなくて気になってしまう。梅雨のことを考えると憂鬱で仕方がない。
小学生のころを思い返してみると、やはり雨の日は好きではなかったような気がする。休み時間も放課後も外で遊べなかったからだ。けれど、そのときの自分と今の自分では雨が嫌いな理由が変わっている。あのころ雨は「外で遊べないから」嫌いだったのに今は「洗濯物が干せないから」という理由も加わった。
自分はもう子どもではないのだと感じる。小学生の僕が「洗濯物が濡れてしまう」などと心配する必要がなかったのは、庇護者のもとにいたからだ。守られていた。守られていたけれど、同時に、自分が守られていることを実感しないまま暮らしていた。
今は降りしきる雨からただ守られているだけの存在ではなくなり、自分の生活を自分で守る段階に入ろうとしている。僕たちは着実に大人に向かっているのだと言えば「まだ自分でお金を稼いでもいないのに」と笑われるだろうか。だが、自分の力で生きていかねばならないという気持ちは少しずつ大きくなってきた。
なんだか重たい話になってしまったので晴れの日の話をする。下宿を始めてから、今日みたいに快晴の日は洗濯物がよく乾く、とうれしい気持ちになることも増えた。これは今までなら感じることのなかった喜びだ。そういうところに目を向けると、大人になるのもきっと悪くない。きっと悪くない、と思ったことを忘れないまま大人になっていこうと今は思っている。