シンタメ

年30公演以上飛び回るオタクの戯言

なび





年間30公演以上、全国飛び回ってるオタクが推し、そして推し活に思ってることをつらつら書きました!

拗らせオタクの戯言だと思って軽く読んでくれたら嬉しいです。

「推し」ってなに?


私にとって「推し」という存在は、自分のコンプレックスから目を逸らすためのものであり、ある種の現実逃避だと感じていて。

人間はそう簡単に劇的に変わることも、急激な成長を実感することもできないし、ただ日々を精一杯生きる中で、ふと振り返ったときにようやく歩んできた道のりが見える、そんな不確かな時間の中を生きているように思います。

だからこそ、自分の存在価値を突然見失ったり、成長できていない自分に焦りを感じたり。そうしたどうにもならない劣等感や焦燥感、無力感を埋めてくれるのが、私にとっての「推し」であり、「推し活」なんだろうと思います。

私はジャニーズと宝塚を追いかけていますが、どちらも常に比較され、序列が明確に存在するわかりやすい世界であり、その序列の変化を物語としてエンタメとして提供してくれるところも共通していて。

「推し」がもがき、苦しみながらもより良い立ち位置を手に入れたり、より良い仕事を得たりしていく。そんな成長物語に自分自身を投影し、自分たちが彼らを支えていると信じることで、あたかも自分も日々成長しているかのように感じられる。私にとって「推し」とは、そのような存在のように思います。

また、「推し」は偶像であるがゆえに(実際に本人へぶつけるかどうかは別として)、どんな感情を抱いても相手に直接干渉することがない点も魅力だと思っています。

友人や家族といった現実の人間関係に強い感情を向けると、相手にも負担がかかり関係をこじらせる原因になりかねませんが、「推し」に対しては、自分の見たいものだけを見て、好きなだけ大きな感情を向けることができるんです。それがいい事なのか悪い事なのかは置いといたとしても、その感情自体は本人に届くわけではないので、気持ちのはけ口としても機能しているのだと思います。

「推しがいないと生きていけない」という言葉を大げさだと感じる人も多いかもしれませんが、少なくとも私にとっては、「推し」のおかげで自分自身と適度な距離を保ち、うまく付き合うことができているように思います。だから生きていけないというのは大袈裟だとしても、「推しのおかげで生きやすい」くらいは許されてもいい気がしています。

推し活が人生の支えとなっている一方で、推し活は自分自身に還元されるものが極端に少ないとも感じています。だからこそ、いつか意味を見失ったときの自分を想像すると、少し怖くもなります。

何も手元に残らないことも、それに熱中している自分が愚かだと分かっていることも含めて、推し活には苦しさもあります。それでも、エンタメを消費し、同時にエンタメに消費されていく、そんな生き方もまた一つの人生のように思います。

「推しがいるのが羨ましい」「推しができないのが悩み」という声を聞くこともありますが、正直なところ、推し活はしないで済むならそれが一番いいと思います。自分以外の存在に依存するよりも、自分に意識を向けて生きていく選択肢がある人の方が結果的に素敵な人生になるんじゃないのかななんて思っています。結局はないものねだりなので、満たされないのは仕方がないですね。



最後に


私は中学生の頃自分の感情の扱い方や自分自身の機嫌の取り方がわからずずっと苦労してきたので、推し活という精神的支柱を手に入れられたのはひとつ大きな財産のように思います。どんな形であれ、「推し活」と言う言葉に飲み込まれず、自分に合った形で付き合っていけたらいいなという願望を述べて終わろうかなと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。



この記事を書いた人

なび

韓国語頑張りたい

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