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配信というコンテンツについて語ろうと思う。

メラル





配信というコンテンツについて語ろうと思う。


昨今の大量供給・大量消費の時代で量において最も秀でているコンテンツはなにかと聞かれたら、間違いなく配信だと断言できる。


映画。
小説。
マンガ。
テレビ番組。


コンテンツの種類は挙げれば無数にあるが、そのどれをとっても遠く及ばない圧倒的な供給量を誇るコンテンツ、それこそ今回語るテーマ、「配信」だ。
今回は、そんな配信の酸いも甘いも余すことなく夜通し語りつくす!!!
ことは難しいのでその一端を紹介しつつ、少しでもこの記事を読んで興味を持ってくれたらなぁという気持ちでこの記事を書いています。



さて、まず最初に語るとするならばもちろん、先ほども少し話しかけた「供給量」に関してであろう。
配信というコンテンツの供給量は他のコンテンツと比べても軍を抜いており、ドラマやアニメなら週一度のところ、こと配信においては人によっては毎日行っている猛者も存在する。
もちろんテレビのニュース番組なんかも毎日放送されるものではあるが、配信は基本的に短い人でも1回1時間以上、中には24時間丸々行う人もいるということを考えると、その差は歴然だろう。
さらに言えば、同じ時間帯に放送されるニュース番組は数局程度だが、配信はそれよりも圧倒的に多く同時稼働している。
そもそもいち個人で行う配信と大勢の協力のもとで成り立つニュース番組がコンテンツとして同じ土俵にあるということ自体が異常だ。
その身ひとつでコンテンツ足りうる、このコストの安さが配信の供給量の多さを後押ししている。
24時間365日いつ見ても誰かしらが配信しているので、暇を持て余したときにいつでも時間を潰せるのも魅力的だ。
いつでも見れ過ぎて潰してはいけない分の時間まで潰してしまうことを除けば最強の暇つぶしだと思う。
この記事も配信を見ながら書いているので、多分見なければもっと早く終わったと思ういや絶対終わってた。



そしてこれは供給量の多さに付随する利点だが、
供給量が多いということは供給頻度が多いということであり、供給頻度が多いということはつまり情報の更新速度が速いということになる。
この圧倒的な更新速度のおかげで、このコンテンツは常に新しい。
常に新しいから、飽きが来ない。
なんなら逆に過去の配信を見て、当時の流行であったりを楽しむなんて楽しみ方もできる。



ここまで配信全般について書いてきたが、一口に配信者と言ってもいくつかの異なるスタイルが存在する。今回特に語りたいのは自分の配信趣味の原点であり、この底なし沼にハマる元凶となった配信者のスタイル「Vtuber」についてだ。
Vtuberの歴史は意外に短く、その名が世間に知られ始めたのが2017年頃であることを考えると実はまだVtuber史は7年しかない。
当時はVtuberといえば専ら動画が主流で、配信形式が台頭し出したのはそこから一年経った2018年の話である。
動画から配信にシフトチェンジした理由はいくつかあるが、一番大きな理由として挙げられるのはVtuberが商業化したことだろう。
それまでのVtuberは個人勢と呼ばれるいち個人が道楽で行う趣味の世界だったのに対して、企業勢と呼ばれる事務所に所属するタレントVtuberが台頭したことでVtuberは商業化の波に飲まれた。
配信することが仕事なのだからそこにかける時間と熱量は留まることを知らず、最終的に今の大量・高頻度供給の形に落ち着いたというわけだ。
あるVtuberの言葉を借りるなら、
「商業主義の波に飲まれ、消費速度が臨界に達した」と言える。これはVtuberに限った話ではなく、配信者全員にいえることでもある。
個人的にこの今の配信主流の風潮には大変満足している。


だって、、、いっぱい見れるから。
散々連々長々と難しそうなことを書いたが、結局これである。
アニメ、ドラマ、小説、漫画。これら全て終幕があり、好きな作品ほど終わってしまうのがツラくてもっと続いてくれたらなぁなどと思うものだ。
その点Vtuberは「終わりのないアニメ」なんて言われるように、1つのコンテンツを非常に長く楽しめる。
好きなものがずっと終わらないこと以上に幸せなことがあるだろうか。
もちろん卒業引退失踪消息不明契約解除諸々の理由で突然終わってしまうこともあったりするが、その悲しみを以ってしても余りある楽しさを配信は届けてくれる。


一昔前まではVtuberなんて所詮ただの絵なんて言われて誹謗中傷の的だったが、最近はその流れも徐々に消えつつある。
2次元的な世界観が相容れなかったとしても、結局内面が面白ければその内認められていくのだと思う。
少しメタ的なことを書くが、バーチャルという仮面は本来、より多くの視聴者を引き込むためという側面があった。
現実・バーチャル問わず、誰だってイケメンや可愛い子を見つけたらちょっと見てみようかなと思うだろう。
バーチャルは現実に比べて圧倒的に容姿を優れさせることが簡単なので、必然的に昨今のVtuber、率いては2次元は美男美女で溢れている。
そうした方がより多くの人に見てもらえる可能性が上がるし、そうしないと見てもらえないのだ。
しかし、先述したようにバーチャルは容姿を簡単に良くできるので、結果そこで大した差は生まれなくなってしまう。
じゃあどこで差が生まれるのかというと、外見に差がないなら内面に差がより濃く浮き彫りになってくる。
皮肉なもので、外見で勝負しに行った結果、内面でより一層勝負しなければいけなくなったのだ。
配信は刹那的ではなく長期的なコンテンツ故、見てくれだけ良くても内容が伴わなければ一瞬で飽きられる。
臨界に達した消費速度に置いていかれないほどのスピードで、常に面白くあり続けられる人たちのことを見ていて飽きるはずがない。


内面でしか勝負できない世界。
常に面白くあり続けないといけない世界。
だからこそ磨かれるエンターテイメント。
それこそ自分が配信が好きな理由で、これからも見続けたいと思う理由だ。



この記事を書いた人

メラル

まあ明日でいっか。

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