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人生をバラで彩る

頭文字D





なんだかつまらない。

ああ、やる気が出ないなとか、そんな時もあるだろう。

そういう時って、大体、視野狭窄に陥っているんじゃない。

余裕がないんじゃないと思う。


今回話すのは、簡単に言うと人生に無駄を持つようにしたらどうだろう、ってこと。

タイトルにある、バラは一言で言うと無駄のこと。

ただ、この無駄についても少し考えたいところ。

だから、文章を書きながらどのような無駄がいいのかって考えていきたい。


合理性の追求

私たちの人生は効率とか合理性、論理性が求められることが多い。 なぜそうしたのか理由を持ってしなさいだとか、論理的に説明できるようにしなさいとか。

これをすれば、ある程度の楽しさが得られるんじゃないか、とか、この人と付き合うことである程度の利益が得られるのでは、とか。 このように打算で動くこともあるのではないか。

確かに、論理性、合理性は必要だ。 仕事、企画、文章を書くとき。 このような時には、論理性は必要になってくる。

なぜなら、論理とは、誰が考えても同じ答えに行き着く過程を示すものであり、違う思考を持つ他人に物事を伝える上では、論理性がある方が遥かに伝わる。

しかし、この論理性には、落とし穴もある。 論理性は誰が考えてもその答えに辿り着くことが求められる。 と言うことは、論理性のあるものは誰が考えてもいいのであり 自分というものは限りなく薄くなってしまう。

また、論理の飛躍がないから、なんか面白みがなく感じる。 これは自分が論理性に関して理解が足りていないからかもしれないが。

だが、人生において論理性はそこまで重要でないのではないかと思う。 特に大学生に至っては、無駄を楽しむということに重点をおいて過ごすのも悪くないのではないか。

人生において、論理性、合理性を求めて生きるということは、少し極端な表現だが、栄養素だけを考えて、決められた分量のご飯を毎日決まった量食べ、決まった服装をし、決まった行動をするということである。

極端な表現になってしまったかもしれないが、自ずとこのような枠組みに収まってしまっている可能性はある。

そして、似たような人生に対して退屈に感じる。 やる気が無くなることが起こるのではないか。 ここで問題なのは、毎日が同じことの繰り返しであるということ。

それだと退屈に感じる。無気力になる。 だからそれを打破するようなものが必要である。 そこで鍵になるのは無駄だと思う。


必要な無駄について

人生における一つの無駄が、人生のアクセントになる。 スパイスになる、ピリッと退屈な日常から目覚めさせてくれる。

ずっと無駄と言っているが、これはただの無駄ではなく、感性に訴えかけるような、自分がワクワクするような無駄であることがいいだろう。

例えば、本を読むとか、サウナに行くとか、そんなもの。

特にこれをするべきというものはないが、できるだけ能動的に自分で感じ、考えるようなきっかけになるものがいいのではないだろか。

スマホを単に触るとか、YouTubeで動画を見続けるとかそんな感じのものはできるだけ控えたほうがいいだろう。

これらを控えたほうがいい理由は、受動的であるから。 感じる、考える時間が減るから。

延々と情報が流れ込んでくる。 気になるようなものが目に、そして脳に侵入する。 自ずとそれは私たちが生きるために必要な無駄を奪う。 そうはならないために、無駄な時間を死守する。


無駄を守るために無駄を捨てる。


とにかく、能動的に、自分がいいと思えるような無駄を全力で楽しむ。 これに尽きる。

どんなに忙しくても、なんとか、無駄を死守する。 それが心の健康を守ってくれる。 見ると心が和む花のような存在になる。

私たちの人生に必要なのは、バラになるような無駄だろう。 無駄のために生きる、それ自体が無駄なのかもしれないが、自分の人生を無駄なことにかけるって少しワクワクするようなことだと思う。




この記事を書いた人

頭文字D

文遊両道

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