No.75

弱い人に寄り添っていきたい。僕自身が弱い人間だから。

中村 嘉孝(なかむら よしたか)

(神戸大学法学部4回)

Presented by Yumika Kamada,Yuma Takeda

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引きこもりの過去から一転、アフリカのとある村の村長に指名されるようなアクティブ大学生に!?大学4年間で彼に起きた変化とは?そして今後の彼が進む道は?彼が胸に秘める熱い”想い”に迫る。

PROFILE

中村 嘉孝(なかむら よしたか)

見て、感じて、自分にできることを探して。

-様々な国に訪れているそうですね。法学部にあまり留学のイメージはないのですが、どうして海外を訪れるようになったのですか?


元々法律に興味があったわけではなく、医学部受験に失敗して、どうせ違う学部に行くなら医学部とはかけ離れたことを学ぼうと思って法学部に入ったんです。でもやっぱりやることが違いすぎて全然面白くなかったんですね(笑)そんなやりがいのない大学生活をこのまま続けるか悩んでいた時期に、カンボジアの医療関連施設をまわるプログラムを見つけました。実は高校まで海外に行ったことなんて一度もなかった僕ですが、現実逃避を兼ねて、このプログラムに参加することにしました。自分の中でとにかく「弱い人に寄り添いたい」という気持ちがずっとあったので、それに参加してピンときたら、医学部に編入するか、もしくは大学を辞めてNPOなどに入るか、弱い人を助ける道にいち早く進もうと思ったんです。でも実際カンボジアに行くと、「ここに日本人の医者は必要ない」と言われたりして、寄り添いたい!っていう自分の気持ちがあるのに、向こうから求められていないという現実に直面しました。そこで、"弱い人"に寄り添いたいという自分の想いだけで行動するのではなく、何が本当に求められているのか、日本人として自分にしかできないことは何か、を見つけるために海外へ足を運ぶ大学4年間を過ごすことを決断しました。

-アフリカの村で村長に指名され、断ったとお聞きしましたが、まず、どうしてアフリカに行こうと思われたのですか?


「弱い人に寄り添いたい」という想いの中で、アフリカには一番弱い人がいると漠然と思っていたので、自分の目で見てみたくて。経済があまり発展していない国、そしてその他様々な事情を考慮して、セネガルという国を選びました。1年間のフランス留学の後、日本に帰国することなく、セネガルに向かいました。現地はウォルフ語という現地語が主流だったので、フランス語と現地語の通訳を雇わなければならず、苦労しました。

-実際、セネガルの村は貧しかったのですか?


1日100円以下の自給自足の生活をしていましたが、その中でも問題なく生きていけるだけの相互扶助の仕組みがあって、何なら日本人より豊かで充実した生活を送っているように僕には見えました。僕の感覚では、「僕が寄り添いたいと思っていた弱い人っていうのは、ここにはいないのかもしれないな」という感じでした。

-村長に指名された理由、そして、村長を断った理由はなんですか?


指名されたというよりか、「ちょっと考えてみない?」というゆるい打診でしたが。理由は、単純に村長さんやその娘さんに気に入られたというのが大きいですね。相手の文化圏での誠意の示し方を意識して過ごしたことが良かったのかなと思っています。お話を頂いた後、村長に就くか真剣に考えてみました。不思議ととても居心地が良い村だったし、その村のみんなが大好きだったからです。ただ、その村で過ごすうちに、僕の中での"弱い人"像は、その村の人々のような経済的弱者ではなく、純粋に自分の居場所がなくて自分の必要性や生きている意味を見失ってしまっている人たちなのだと気づいたんです。だとすると、一生ここで村長として生きるのは、"弱い人"に寄り添う人生を送りたいという自分の想いとどこまでマッチするんだろう、って。そう考えて、行動範囲や可能性がかなり限られてしまうアフリカで村長に就任することはお断りさせていただきました。


嶋崎 翔太

(RAVENSキャプテン)

僕らの真剣な姿を見て欲しい


岩渕想太

(現役神大生バンド“パノラマパナマタウン”Vo&Gt)

一番面白いことするのは学生のはずなのに


河上 隼己

(ESSディスカッション全国大会2位)

後悔しないように続けることがエピソードを作る


河内 鏡太郎

(文学部卒元ジャーナリスト)

どんな場面でも自分の感性、五感を信用して欲しい


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