No.30

電池の切れた時計のように死ぬ。

郡司 ペギオ 幸夫

(理学部教授)

Presented by Keita Kutsuno, Aimi Fukuyama

Photo by Keita Kutsuno


「なんだかわからないまま、電池の切れた時計のように死にたい」下向きでもいい。悩み続けることも悪くない。ネガティブ思考教授に、思わず共感してしまう...?

PROFILE

郡司 ペギオ 幸夫

生きている世界と死後の世界の境界が気になっています

-さっそくですが現在、教授はどんな研究をされていますか?


大まかに言うと、人間の内側と外側が接したときにどういう風に間のインターフェースが作られていくのかについての研究をしています。例を挙げて説明しますね。見ず知らずの人同士が友達となり、お互いが歩み寄って完全に分かり合ったように見え、二人もそう感じているとしましょう。でも互いの心の真実に到達できるなんて感覚のほうが偉そうだし、自分に関してだって何が本当なのかよくわからない。わからないままに、でも歩み寄るというのは、自分の足元を点ではなくて、大きな不定形の領域にすることです。点だったら、大きさがないので、歩み寄り、交わることなんてないけれど、不定形の領域なら、簡単に重なって、歩み寄りが実現できる。私はそう考えたほうが、人と人の関係や、人間と自然との関係、生命と環境の関係を理解しやすいと考えています。端的な言い方をすると、「うやむや」を立ち上げる、ということですが、その「うやむや」というのがさっき言ったインターフェースのことですね。つまり、ズレはズレのまま。ギャップがあるにもかかわらず、そのズレとズレの間をうやむやにしてしまって、そのギャップが気にならなくなる。こうやって世の中はうまく機能していくのではないか、と。ネガティブな発言に聞こえるかもしれませんが、皆が同じ価値観になるのは楽しくないですよね。完全に分かり合うことを目標とする世の中は窮屈なものだし、完全に分かり合わない方が面白いって僕は思っています。こんなことについて様々なレベルで考えています。動かしている手が自分の手かどうかという感覚を調べる実験や、生物の群れについての研究を通して、この問題にアプローチしています。蟹の群れについて研究するために西表島に行ったり。よくわからないでしょう?(笑) *インターフェースとは、二つのものの間に立って、情報のやり取りを仲介するもののこと。 *不定形とは、形や様式が定まっていないもの。

-研究の魅力は何ですか?


僕、特に生物が好きだとか、研究が好きなわけでもないんですよね(笑) もともと物心ついた頃から、人は全くの未知である死をどう受け入れるのだろう?ということにだけ興味を持っていました。時計とかって電池が切れた途端に泣き言も言わずに動かなくなるじゃないですか?動物も同じで。人間だけが色々考えちゃうわけで、でも最後には受け入れていく。その過程について考えていますね。目に見えず、存在しないはずなのに考えてしまうこと、今生きている世界の果てとして想定される死とは何なのか。でも、死後の世界とか、生の外部を生と同じように存在するものと想定するような話には、あまり興味がありません。むしろ果てとしての死を考える過程として、生きていることを理解したいのです。このような昔からずっと興味のあったことについて知りたかったのですが、それが職業に結びつくとは思ってなかったんです。でもある日、日本にカナダの理論生物学者が来て目的論的生命論みたいこなことを言っていて、「研究者はこんなことをやってもいいのか!」と思って研究者になりました。研究は自分の興味へのアプローチを自由にできることが魅力ですね。


藤嶽 暢英

(農学部教授)

嗜好性のないアンテナを360度に伸ばしてみるといい


秦野 実(はたのみのる)

(“甘夏食堂”店主)

好きだったらなんでもやれる。


中村 匡秀

(工学部准教授)

いっぱい失敗して経験値を貯めてほしい。


イタイタイコウ

(発達科学部3回生)

やりたいことを見つけ、自分を更新し続ける。


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