No.115

"既定のルート”から外れても、人生は面白い

徳永滋之

(経営学部6回生)

Presented by Kana Maruyama, Kaito Sadahisa

Photo by Shoichiro Sakamoto


PROFILE

徳永滋之

自分オリジナルの幸せモデルを見つけてほしい

-ー自己紹介をお願いします。


経営学部6回生の徳永滋之(とくながしげゆき)といいます。初対面の人には大学院2回生と嘘をつくこともあります(院生の方々ごめんなさい)。今はフリーランスとしてデザイナーや営業代行、記事執筆や採用のお手伝いなどで生計を立てています。僕の名刺にはデザイン、ライティング、イベント、DJ、漫才 が仕事と書いています。後ろ2つはハッタリです。仕事ください。ちなみに今年で3度目の挑戦になるのですが、M‐1 グランプリに出場してます。今年ようやく1回戦を突破できて次2回戦です。勝ち進んでいきたいですね。
今は地元福岡に住んでます。6年目の前期で単位取り切ったつもりで神戸の家を引き払って福岡で働いているんですけど、ここ数週間と遠隔で教務と揉めていて。どうやら卒業できない可能性も出てきました。ですので神戸にたまに出没することもあると思いますが、そのときはよろしくお願いいたします。

-ー入学してから今までの6年間、どのようなことをされてきたのですか?


1・2回のときは AIESEC と GhanaGhana の2つのサークルに入っていたのですが、3回生のとき AIESEC の副代表になり、AIESECに活動を絞りました。 4回生のときは、友人と3人で大学1・2回生に中小企業のインターンを紹介する事業を始めました。少し経って就職活動を始めてIT 系ベンチャー企業の実務型インターンに参加したのですが、インターン生という身分上、任せてもらえるものも限られていたので、「それしかやらせてもらえないなら関西に帰ります。僕に案件1個任せてください。」とわがままを言って色々させてもらいました。髭も剃ってないしスーツも着てないし、今考えると恥ずかしくなるくらい尖っていました(笑)。周囲の社員さんの手助けもあって(というかそれが全てでした)、奇跡的に成果をあげることができ、それが評価されて内定をいただきました。そこからは内定者として人事の採用を手伝ったり、神戸では自分の事業を推進していったりして過ごしていましたが、内定から1年後、友人が貰っていた会社の内定を辞退して起業すると聞いたんです。そっちのほうが面白そうだなと思って友人のスタートアップに参加することを決め、内定を辞退しました。スタートアップでは、年が明けて3ヶ月は1日 15 時間くらい仕事をしていました。高校時代に公立校ながら甲子園を目指して毎日練習に励むみたいな青春の期間でしたね。僕高校時代帰宅部なので想像でしかないですけど(笑)。売り上げが立つまでは貯金を切り崩して生活するつもりでしたが、2度目の留年をしてしまっていて、学費など諸々で貯金が一気に無くなり、すぐに稼ぐ必要が出てきたためスタートアップをやむなく離脱することになり、フリーランスとして働くことになりました。最初は、知り合いの社長の家に行きお子さんとDIYして遊んで小遣いを貰ったり、先輩の勝負合コンにお供して場を盛り上げて、お目当ての子と先輩が付き合うまでの仲介を頑張ってお金をいただいたりなど、クソみたいな仕事(仕事と言える大層なものではないですが)をして食いつないでいました。初めてデザインの仕事を任せてもらって以降、まともなフリーランスとして働けるようになって、今に至ります。

-ーどうして留年してしまったんですか?


学生時代にいろんなことに挑戦したからですか?と勘違いされがちですが、違います。ただただ怠惰で、且つ劣等生なだけです。高校は偏差値70超えの九州では有名な進学校なのに、高校時代は全国偏差値が40前半だったくらい勉強ができなかったんです。1年間浪人して奇跡が起こり、なんとか神大には合格できたのですが、そりゃもう同級生みんなは全国各地の優等生が集まってるわけです。戦えるわけないですよ。数学の余弦定理を浪人の秋に初めて知ったレベルなので(笑)。1、2回生のときにひたすら単位を落としました。僕のうりぼーネットの成績一覧ひどいですよ。少しメンタルが弱い人が見たら気絶すると思います。

-ーあんまり大学に行ってなかったんですか?


入学してすぐは授業には行ってませんでした。でも基本は行ってましたよ!友達と会うのはめっちゃ楽しかったので。最初に行ってないのには理由があって、話は浪人時代まで遡るのですが、高3の時から付き合っていた彼女に振られたんです。僕は浪人、彼女は私立の大学に行っていて上手くいかなくて。あまりのショックに半年間全く勉強が手につきませんでした。その結果、10 月の模試で神大が E 判定、センターが合計で 520 点くらいだったので、これはさすがに受からないと思って本格的に勉強を始めました。そのときのモチベーションが「神戸大学に合格して俺は彼女にもう一度告白するんだ!」だったんです。勉強しすぎて脳の神経を損傷して 1 週間入院したこともあったくらい頑張りました。人間って限界を超えて頭を使うと脳神経が損傷してしまうということを初めて知りました(笑)。入院中は1週間何も考えたらダメと言わたので、無心で英単語を眺めて暗記していましたね。その甲斐あって神大に合格して、もう一度彼女に告白して付き合うことが出来ました。でも、僕が神戸に発つ 4日前に、彼女に「やっぱり遠距離恋愛は無理。」ってまた振られたんです。いや、知ってたやん。俺が神戸に行くこと知ってたやん。それで人間不信に陥って大学にほとんど行かなかったというのが理由です。「人間なんてクソだ、社会なんてクソだ」と唱えながら、ウイスキーのストレートは飲めないからコーラで割ってひたすら飲んでいました。今考えたら衝撃の大学生活の幕開けです。キラキラの大学生活なんてこの世にはないと思ってました。幻想だと。当時はこんなに大学生活が楽しくなるなんて思っていませんでした。もちろん6年も通うハメになることも予想外でしたが(笑)。


河上 隼己

(ESSディスカッション全国大会2位)

後悔しないように続けることがエピソードを作る


あずま

(MooVeeリーダー)

「好き」のバトンを繋ぐ ~MooVeeリーダーの使命~


松田 涼花

(「いろはプレス」学生記者)

すごく素敵なものは現在すぐそばにある


野村 奈央(のむら なお)

(知るカフェ神戸大学前店店長 / 発達科学部2回生)

笑って出会って感謝して、アドバイスをもらってまた感謝して、人をどんどん好きになって


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